賞 | 学校名 | 学年 | 受賞者名 | 題名 |
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最優秀 | 山梨大学教育学部附属小学校 | 6 | 森屋 和樹 | 目が見えない世界について考えて |
優 秀 | 甲府市立羽黒小学校 | 4 | 青島 珠理奈 | 勇気をもって実行することの大切さ |
優 秀 | 甲府市立敷島小学校 | 6 | 浅川 翔太 | 白い杖とめがね |
優 秀 | 甲府市立敷島北小学校 | 4 | 大塚 悠 | 点字を勉強して思ったこと |
優 秀 | 韮崎市立韮崎小学校 | 4 | 荒木 湊 | ぼくのすごいそ父 |
優 秀 | 山梨大学教育学部附属小学校 | 1 | 森澤 正之 | みんながえがおになれるしゃかいのために |
優 秀 | 山梨大学教育学部附属小学校 | 4 | 小山 淩央 | 君ならできる |
賞 | 学校名 | 学年 | 受賞者名 | 題名 |
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最優秀 | 山梨大学教育学部附属中学校 | 3 | 山本 三生奈 | 命綱を守るために |
優 秀 | 甲府市立西中学校 | 3 | 齋藤 想真 | 他人事は自分事 |
優 秀 | 甲府市立北中学校 | 1 | 河西 麗央 | オセロを一緒に |
優 秀 | 甲府市立北西中学校 | 3 | 遠山 弓月 | より良い生活を送るために |
優 秀 | 北杜市立甲陵中学校 | 2 | 蔭佐 日葵 | 私たちができること |
優 秀 | 山梨大学教育学部附属中学校 | 3 | 牧 佑美 | 一人も取り残されないために |
賞 | 学校名 | 学年 | 受賞者名 | 題名 |
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最優秀 | 甲斐清和高等学校 | 2 | 中澤 里緒 | 障害について私が思うこと |
優 秀 | 山梨県立巨摩高等学校 | 2 | 石川 葵 | 幸せを決めつけないで |
優 秀 | 北杜市立甲陵高等学校 | 1 | 白倉 美桜 | 未来へ繋がる鈴の音 |
優 秀 | 山梨英和高等学校 | 1 | 渡邉 里乃花 | 誰もが本当に生きやすい社会とは |
優 秀 | 甲斐清和高等学校 | 2 | 大澤 樹莉 | お互いを知る |
優 秀 | 甲斐清和高等学校 | 2 | 花井 杏紗 | 一瞬の勇気 |
賞 | 部・科および学年 | 受賞者名 | 題名 |
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最優秀 | 山梨県立盲学校高等部本科普通科3年 | 山口 穂乃華 | 諦める必要なんてない |
優 秀 | 山梨県立盲学校小学部2年 | 藤田 莉緒 | 町のびっくり |
優 秀 | 山梨県立盲学校小学部4年 | 渡邊 れみ | 寄宿舎でできるようになったこと |
優 秀 | 山梨県立盲学校中学部1年 | 星野 春 | はじめての寄宿生活 |
賞 | 住所地 | 受賞者名 | 題名 |
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最優秀 | 甲斐市 | 眞田 ひろみ | 私のヒカリ |
優 秀 | 南部町 | 大窪 誠 | 一隅を香らせてみたい |
優 秀 | 甲府市 | 髙野 雅洋 | 僕の人生体験談 |
優 秀 | 甲斐市 | 谷 加奈子 | 不自由でも必要とされる社会へ |
目が見えない世界について考えて
山梨大学教育学部附属小学校六年 森屋 和樹
僕は、夏休みに山梨ライトハウスで視覚障がい者である酒井弘充先生から、「視覚障がいについてのお話」を聞きました。
僕が先生の話の中で一番心に残った言葉は、「目が見えないのは不便だが、不幸ではない。」という言葉です。僕は、目が見えないと人生の楽しみがないのではないかと思っていました。なぜなら、僕の楽しみはテレビゲームやカードゲームなど、目が見えないと楽しめないからです。でも、先生は目が見えないからこその楽しみがあると言っていました。盲導犬と道を歩いている時にその日の天気を日差しなどで感じたり、空を見上げたりするのが楽しみだそうです。この話を聞いて、僕は目が見えないと楽しみがないという考えは違うのだと分かりました。
次に、僕が知って驚いた事は、視覚障がい者の方でも楽しめるものが数多くあることです。僕は最初、視覚障がい者の方でも楽しく遊べるものが、あまりないと思っていました。でも、僕は視覚障がい者の方でも楽しめるよう工夫がたくさんあることが分かりました。
例えば、ルービックキューブは色ごとに別々の凹凸をつける工夫がされています。しかし、僕が目をつぶってルービックキューブを回しても、凹凸の区別が全くつかず合わせられませんでした。指で触って判別することの難しさを実感しました。
また、先生は山梨県は道が狭い所が多くて、盲導犬と歩く時に不安だと話していました。歩道が広いと視覚障がい者の方だけでなく、多くの人が安心して歩くことができます。これは、道だけでなく階段や建物の中など、様々な場所でも言えることだと思います。全ての人々が安全に、安心して暮らせる社会をつくるためにはどうしたらよいか考えることが大事だと思いました。
命綱を守るために
山梨大学教育学部附属中学校三年 山本 三生奈
日常で点字ブロックを意識している人は、どれくらいいるのだろうか。目が見えることが当たり前の私を含め、多くの人があまり意識が向かないのではないだろうか。そこで、私は改めて点字ブロックの持つ意味を調べてみることにした。
点字ブロックは、目が不自由な人が安全に移動するために、地面や床に設置された四角形の案内表示だ。ブロックには突起があり、それを足の裏や白杖で確認しながら進む。色は黄色で、周囲の色との差をつけて分かりやすくしている。このように、目の不自由な人にとって大きな意味を持つ点字ブロックは、命綱と言われているのだ。
点字ブロックの重要性を再確認できた上で、私は町に足を運び、実際に点字ブロックの様子を調べることにした。意識してみると、気付く点がたくさんあった。まず、私の住む町には、点字ブロックが少ない。車や人通りの多い道路には多く見られるが、大通りを外れると極端に少なくなる。そうなると、近道をしたくてもわざわざ点字ブロックのある道路を選択せざるを得ない。これは、目の不自由な人にとって、とても不便である。
次に私は、点字ブロックの形や色に注目した。実際に点字ブロックの上を歩いてみると、突起が足の裏ではっきりと感じられない時があった。それは、突起が欠けていたり、破損しているのが原因だ。色は、薄い黄色に退色してしまっている部分もあった。目の不自由な人が安全に安心して歩行できるように、点字ブロックのメンテナンスは、定期的に行う必要があるのではないだろうか。
私が特に気になったことは、点字ブロックの上に自転車が無配慮に置かれていたことだ。これでは、自転車が邪魔をして、目の不自由な人の歩行の妨げになってしまう。また、自転車にぶつかり、転倒してしまう危険もある。これは、より早い改善が必要だ。自転車を置いてしまう人は、点字ブロックへの無関心の表れだ。改善策は、私がしたように多くの人が点字ブロックの持つ意味や重要性をもう一度、理解することではないだろうか。そして、目には見えない思いやりや優しさを一人ひとりが持ち、それを行動で伝えていくべきだ。
しばらく歩き続けていると、前から白杖を持った女性が二人歩いているのが見えた。私は歩道の端に寄り、見守るように二人を見ていた。すると、その女性たちは体を密着させ、お互いを支え合うように点字ブロックの上をゆっくりと歩いていった。そんな二人を見て、目の見えない世界と見える世界には、越えられない境界線があるように感じた。だからこそ、一つの世界でいられるように、困っている時は声をかけ、力になってあげたい。そして、目の不自由な人が温かい気持ちになれるように、命綱を守っていこうと私は決意した。
障害について私が思うこと
甲斐清和高等学校二年 中澤 里緒
私はいままでの生活の中で目の不自由な人のことについて考える機会はあまりなかった。しかし、高校二年生から福祉クラスで専門的に学ぶようになり、目の不自由な人に対する考え方が変わった。
最初は「生活が大変そう」「かわいそう」などのマイナスイメージが強かった。しかし、授業などで視覚障害について学んでみると、「白杖を使えば、自立歩行もできる」「目が見えない分、聴覚や触覚など他の感覚器を駆使してまわりの情報を得ることができる」という事実を知り、決してマイナスなことばかりではないことに気が付いた。また実際に授業でアイマスクをつけて歩いてみると、見えない状態で歩くことの大変さを思い知らされた。見えることでどれほど安心や安全が保障されているか、自分たちがどれほど視覚からの情報に頼って生活しているかを改めて考えさせられた。その一方で、見えないことによる困難を実体験したことで、目の不自由な人を街で見かけたときに、見える私たちがどのような行動をとればよいのかを考える良い機会ともなった。「見えない」という体験が私自身の目の不自由な人への偏見を取っ払う契機になった。目が見えない、見えにくいからといって、何もできないわけではなく、見える私たちと何ら変わらない生活をしている人が数多くいることも授業を通じて学んだ。見えない、見えにくいことからくる生活のしづらさを軽減するためのアイテムがたくさん開発され、活用されていることも知った。これまで視覚障害のある人との接点が少なかった私は、視覚障害のある方を取り巻く状況が「見えていなかった」だけなのである。
私は今回、視覚障害について学び、考えを深める機会を得て思ったことがある。それは、障害についての理解が乏しいために勝手にマイナスイメージを持っている人がこんなにも多いのかということだ。学んだり、交流したりしてみれば、プラスの面がたくさんあることに自然と気が付くだろう。障害をもった方も一人の人間であり、この社会を構成するメンバーとして、それぞれの個性を尊重しながら一緒になってみんなで生活しやすい環境づくりを進めていかなければならない。
私は授業を通じて、視覚障害者の生活に触れたことで、視覚障害者が生きている世界を追体験する機会を得た。想像するだけではなく、体験したり交流したりすることで見えてきた「障害とともに生きていく」ということ障害の有無にかかわらず、すべての人が唯一無二の、かけがえのない存在であるということ。今回の私のように、考え方や意識を変えるきっかけはすぐそばにある。社会全体の意識を変えることはそう簡単ではないかもしれないが、ゆっくりでも障害に対する理解が広がっていくことを切に願っている。
諦める必要なんてない
山梨県立盲学校高等部本科普通科三年 山口 穂乃華
私は絵を描くことが好きだ。これまでに水彩、アクリル、色鉛筆など様々な画材で絵を描いてきた。高校生になり、油絵を描き始めた。二年目に入るころには油絵の描き方に慣れてきたのでUTY教育美術展に向けて作品を作ることにした。自分で応募を決めたのは初めてのことだった。
今回の作品は紫陽花を描いた。正方形のキャンバスに紫陽花の一部をアップで切り取った構図に左上から右下に向かって青から紫へとグラデーションをかけた作品だ。この作品の制作には美術の授業や放課後の時間をできる限りつぎ込んだ。下絵はクロッキー帳に描いたものを美術の先生にキャンバスの大きさに合わせて拡大してもらい、カーボン紙を使って転写する。次にベースの色を塗る。ベースが乾いたら花びらの重なりをわかりやすくするためにふちを白でなぞる。三日ほどして乾いてきたら色塗りの本番だ。花の中心からふちに向かって明るくなるように濃い色と、それを限りなく白に近くなるように調整した色を作り、花びら一枚一枚を丁寧に塗っていく。色を乗せては違う筆でぼかしを繰り返し、一つの花と全体のグラデーションのバランスを見ながら描いていく。この工程に一番時間をかけた。一枚の花びらに十分ほどかけて細かく調整し塗り重ねた。最後にカットした板材をキャンバスに打ち付けて額を作り完成した。紫陽花を鮮やかに、そして生き生きと描くことができたことに達成感を感じた。この作品には、雨に打たれても力強く堂々と咲き誇る紫陽花の生命力の強さを表現したことと、自分も自信をもって前を向けるようになりたいという思いを込めたことを合わせて「憧れ~たとえ雨に打たれても~」と題をつけて提出した。
そこから数日が経った放課後、寄宿舎の自分の部屋で過ごしているとドアを誰かがノックした。ドアを開けるとそこには美術の先生が居て開口一番に「おめでとう!」と言った。状況を理解できずにいると先生は「美術展に出した絵が賞を取ったよ!」と嬉しそうに教えてくれた。信じられない。山梨県立美術館長賞、応募作品の中から一つしか選ばれない賞に選んでもらえた。周りの人とは見え方が違うことで、技術やクオリティーなどもだが、そもそも審査の同じ土俵に立つことも難しいかもしれないと思っていた。だからこの作品も入賞のことは考えず、楽しんで描くことに重点を置いた。今までも周りの人に追いつくことはできない、と色々なことを諦めてきた。しかし、今回のことで同じように評価してもらえて、好きなことを認めてもらえたようでとても嬉しかった。諦めなくていいこともあることを知った。挑戦することを決めて取り組んでみてよかったと思った。これからも諦めずに物事に取り組んでいきたい。
私の光
甲斐市 眞田 ひろみ
私は八年前、職場の健康診断で眼の異常を指摘され、その後受診した眼科医から進行性の網膜症と告知された。当時は全く自覚症状がなく、まさに青天の霹靂だった。将来への不安から非常に落ち込んだが、日々の忙しさで深刻に考えることも次第に薄れていった。
しかし、病は徐々に進行し、今から一年半前、長年続けた仕事や自動車通勤にも限界を感じるようになった。そして、家族と相談した結果、仕事を辞め運転免許証も返納した。
その後、住み慣れた家の中では、気をつけていれば今まで通りの生活を続けていけるものと、淡い期待をしていたのだが、壁やドアにあたったり、床の物に躓いたり、階段から転落して怪我を負うなど、危険を感じることが増えていった。
私は、ついに白杖を持つことを決心した。同時に点字を含めた自立訓練を受けることで、新しい生活を模索していくことにした。
そして現在、自立訓練を始めて半年が経過した。この間に、様々な専門職の方と繋がることができた。生活相談員さんは、定期的に私と家族の様子を聞き取り、どのようなサービスが利用できるか等の情報を提供していただき、家族にとっても心強い存在である。
歩行訓練士さんには、日常生活で実際に困ることを相談している。的確なアドバイスにより、視覚障害者向けの情報ツールや用具などを利用することで不便さを感じることが減った。点字訓練では、初めて触れる六つの凸点の識別に苦労し、挫けそうになる私を豊富な知識と経験に基づいた指導により、次の段階へ進ませてくれている。おかげで、半年間で児童書をゆっくりだが読めるようになった。
音声で聞く読書と比べ、点字で読む読書は、目で文字を追う読書と同じワクワク感と満足感があることに驚いた。元来読書好きなので、読書の幅が広がったことに感激している。
また、点字学習の達成感は、私の思考にも良い影響を与えている。できないことは増えていくが、まずは、できるように工夫してみよう、というプラス思考が生まれ、好きだが諦めていたパンや菓子作りをもう一度始めるきっかけとなった。
これから始まる白杖歩行の訓練では、階段の昇降がある。転落した経験から恐怖と不安があるが、前向きに取り組み、また一歩先に進む自分に期待もしている。
私は、時には現実に落ち込んだり、時には意欲的になったりを繰り返しながら今日まで来た。この気持ちの波は今後も続くのだと思う。だが、常に寄り添ってくれている家族がいる。そして、新しい生活を模索することで、多くの方々との出逢いがあり、その力を借りて前に進めている。これは、今後さらに視えない時がやってくるだろう私にとって、とても強い希望の光となっている。