白い杖愛護作文
白い杖愛護作文受賞者
小学校低学年の部
区 分 | 学 校 名 | 学年 | 氏 名 | 題 名 |
---|---|---|---|---|
最優秀 | 韮崎市立韮崎北西小学校 | 2 | 功刀 裕生 | もうどう犬は大切な友だち |
優秀 | 山梨大学教育学部附属小学校 | 2 | 長田 ひなた | わたしのおじちゃん |
優秀 | 駿台甲府小学校 | 2 | 西中山 拓 | 点字ブロックとの出会い |
優秀 | 甲府市立朝日小学校 | 2 | 丹澤 紀乃 | いろいろ知ったもうどう犬のことを |
優秀 | 甲府市立朝日小学校 | 2 | 金山 陽璃 | もうどう犬がやっているしごと |
優秀 | 甲府市立朝日小学校 | 2 | 坂本 晴紀 | はじめてのもうどう犬を見れた日 |
小学校高学年の部
区 分 | 学 校 名 | 学年 | 氏 名 | 題 名 |
---|---|---|---|---|
最優秀 | 甲府市立羽黒小学校 | 4 | 雨宮 桜子 | 私のちょう戦 |
優 秀 | 富士吉田市立吉田小学校 | 6 | 浅沼 葉子 | 心のフォローを大切に |
優 秀 | 山梨大学教育学部附属小学校 | 6 | 堀之内 颯 | 見えなくたって輝ける |
優 秀 | 甲府市立里垣小学校 | 5 | 秋山 栞音 | 目が見えない人たちが生きていくため |
優 秀 | 甲府市立大国小学校 | 4 | 小池 芽彩咲 | 目の不自由なおばあちゃん |
優 秀 | 甲州市立神金小学校 | 5 | 髙橋 玄季 | 視覚しょうがい者の気持ち |
中学校の部
区 分 | 学 校 名 | 学年 | 氏 名 | 題 名 |
---|---|---|---|---|
最優秀 | 甲府市立城南中学校 | 1 | 細川 好誠 | 目の見えない人を助けたい |
優 秀 | 甲府市立西中学校 | 2 | 山田 光晟 | つばさ君との出会いで学んだ事 |
優 秀 | 甲府市立南中学校 | 1 | 片桐 陽崇 | 僕にできること |
優 秀 | 甲府市立南中学校 | 2 | 山本 梨乃 | 声かけのむずかしさ |
優 秀 | 甲府市立北中学校 | 1 | 深山 寿人 | 声をかける |
優 秀 | 山梨大学教育学部附属中学校 | 2 | 田村 祐希 | 一つの行動がだれかの助けに |
高等学校の部
区 分 | 学 校 名 | 学年 | 氏 名 | 題 名 |
---|---|---|---|---|
最優秀 | 甲斐清和高等学校 | 2 | 向山 愛菜 | 自分らしく生きるということ |
優 秀 | 甲斐清和高等学校 | 2 | 上野 佳祐 | 様々な隣人と、これからの未来へ |
優 秀 | 甲斐清和高等学校 | 2 | 内藤 玲美 | コロナ禍での視覚障害者の生活 |
優 秀 | 山梨英和高等学校 | 2 | 佐田 ひなの | 当たり前を変える |
優 秀 | 身延山高等学校 | 3 | 松木 太一 | 視覚障がい者への理解 |
優 秀 | 山梨県立甲府第一高等学校 | 2 | 二宮 早希 | 明るい未来へ向かって |
生 活 体 験 文 受 賞 者
児童生徒の部
区 分 | 部・科および学年 | 氏 名 | 題 名 |
---|---|---|---|
最優秀 | 盲学校高等部1年 | 河野 善 | できる喜び |
優 秀 | 盲学校小学部4年 | 星野 春 | ぼうさい訓練 |
優 秀 | 盲学校高等部1年 | 城 琉乃介 | 命を守る音響式信号 |
一般の部
区 分 | 住 所 地 | 氏 名 | 題 名 |
---|---|---|---|
最優秀 | 甲 斐 市 | 白濱 顕子 | 今を大事に |
優 秀 | 富士吉田市 | 小澤 マミ | 人とのふれあいについて思うこと |
優 秀 | 富士吉田市 | 藤野 ます子 | 人生最後の日まで自分らしく生きたい |
優 秀 | 身 延 町 | 平田 政夫 | 手さぐりで創る小物にささやかな夢 |
白い杖愛護作文最優秀作品
《小学校低学年の部》
もうどう犬は大切な友だち
韮崎市立韮崎北西小学校二年 功刀 裕生
ぼくは、夏休みの読書かんそう文に「ぼくアーサー」というもうどう犬の本をえらびました。ぼくはまだもうどう犬にあったことがなかったので山なしライトハウスの「もうどう犬のことをしろう」というイベントにさんかしました。イベントには、もうどう犬P R犬のウィニーくんがきていました。ウィニーくんは、もうどう犬のくんれんをうけたゴールデンレトリバー犬の4さいの男の子です。ぼくはウィニーくんを見てカワイイと思いました。
このイベントにさんかする前は、もうどう犬がいるということは知っていたけれどどうやったらもうどう犬になれるのかは知りませんでした。戸井口さんのお話を聞いて、もうどう犬になるためには、はんしょくボランティアさん、子犬をそだてるパピーウォーカーさん、くんれんしさんとたくさんの人たちが犬とかかわっているのだと知りました。もうどう犬はみちやだんさを教えてくれるだけでなく、人が大すきでアーサーの本に出てくるノリオさんのようなユーザーさんと気もちがつながっている大切な友だちだとわかりました。ぼくは、たくさんの人たちにもうどう犬は人げんのためにがんばっている、すばらしい犬だと知ってほしいです。おねえちゃんが読んだもうどう犬クイールの本には、もうどう犬をそだてるにはとてもたくさんのお金がひつようだと書いてありました。ぼくは、一とうでも多くのもうどう犬がそだつように、おねえちゃんと日本もうどう犬協会におこづかいをきふしました。
もしこれから町でもうどう犬をつれている人を見かけたら、戸井口さんに教えてもらったように「なにかお手つだいすることはありますか?」とゆう気をもって話しかけたいです。
《小学校高学年の部》
私のちょう戦
甲府市立羽黒小学校四年 雨宮 桜子
小学校2年生のクリスマスの朝、ずっとほしかった点字器がサンタさんからとどいた。い前からほしかったピンク色のかわいい点字器だった。その日、私は時間をわすれて一日中点字を打ちまくった。
私が初めて点字を知ったのは小2の夏に読んだ「ルイ・ブライユ」という人の伝記がきっかけだ。この本を読んで、目の不自由な人が使う文字、点字があることを知った。点字を意しきして周りを見わたしてみると、家の中にはリモコンや電気のスイッチ、駅にはきっぷ売り場や階だんの手すりなど色いろなところに点字があることを知った。そこで、図書館から本をかりてきて、点字を覚えたり、自分で打ったりと点字の勉強を始めた。点字を学ぶ中で、点字には、とつ面とおう面があることに私は一番しょうげきを受けた。このことを理かいしていなかった私は、初めて点字を打ったとき、おう面で打たなければいけないものを、とつ面と同じように打ってしまうというミスをしてしまった。
それから2年ほど練習を重ね、今では五十音の点字を打ったり読んだりできるようになった。また、タックテープに点字を打って絵本を点やくしてみたりもした。私は本を読むことが大好きだ。だからいつか、私の好きな本を点やくし、目の不自由な同じ年ごろの子たちにも、本を自分で読むことの楽しさをもっと実感してもらいたいと思う。まず、そのために目の不自由な友達をつくりたい。そして、点字を使って手紙のやりとりをし、心のつながりをもちたい。それが今、私のやってみたいことへの第一歩だ。
《中学校の部》
目の見えない人を助けたい
甲府市立城南中学校一年 細川 好誠
「ありがとうねぇ。」これは、目の不自由な人を助けてあげた時、おじいさんから、言ってもらった言葉だ。この言葉を聞いた瞬間、「困っている人を助けるのは緊張する事だけど、とてもいいことだな。」と改めて思った。
僕は人と話すのが苦手だった。ある日、学校からの帰り道で、横断歩道を、わたりたそうな人がいた。しかし、その人は信号が青になっても進まない。僕は考えるうちに、「目の不自由な人かな。」と思い始めた。声をかけようと思ったけど緊張で言いだせなかった。
僕は緊張する内でこう言った。「何かお手伝いしましょうか。」するとおじいさんはもうしわけなさそうにこう言った。「肩を貸してもらってもいいですか。」「いいですよ!。」と僕は明るい声で言った。横断歩道を渡りおわると、「ありがとうねぇ。君のような優しい人がいると、とても助かるんだよ。」
僕は話すのが苦手だ。しかし困っている人がいたら助けずには、いられないのだ。そういう人たちが協力して、力をあわせれば、目の不自由な人を社会の危険から守ることは、できるのではないかと思う。
目の不自由な人のことをもっと知りたくなった僕は本屋に行って、目の不自由な人についての本を買った。その本の人物は盲導犬をつれていて、店に入店拒否をされていた。僕は、「盲導犬をつれているだけで、入店を断るなんてひどい。汚い訳でもないのに。盲導犬は訓練されているから、おとなしく待てるはず。」と、いろいろな事を考えた。店の方もアレルギーのお客さんがいたら大変と断る理由もある。盲導犬をつれていても入れるように、別のスペースを作ったりするなどの、いろいろな対策がある。このことが、きっかけで、何を言われるかが、こわくなってしまい、店に入れない人もいる。
この現状をしっかりと理解し、目の不自由な人が、活やくできる場をつくるのが、我々目の見える人の仕事ではないのだろうか。
《高校の部》
自分らしく生きるということ
甲斐清和高等学校二年 向山 愛菜
大好きなYou Tubeを見ていたら、たまたまおすすめの欄に、病気で幼少期に目が見えなくなってしまった夫婦のドキュメンタリーが紹介されていたので、見てみることにした。その夫婦には、二人の子どもがいる。夫婦は目が見えないながらも、ヘルパーさんの手を借りつつ、ほぼ自分たちでお風呂に入れたり、おむつを替えたりしていた。妹や親戚に幼い子がいる私にとって、子育てが健常者にとっても簡単ではないことは身近なこととして感じている。ヘルパーさんに任せてしまえばいいに、とも思ったりもするが、きっと母親、そして父親としてなるべく自分たちの手で子育てがしたいと考えたのだろう。
もう一つ、やはりYou Tubeで見た義眼をつけている女の子も印象的だった。その動画では、義眼についての説明や、つけたり外したりする様子が紹介されていて、視覚障害のある人が周りにいない私にもわかりやす動画だった。その子は、生まれつき目がない。でも動画の中で彼女は、元気よく、ずっと笑顔で話している。きっと、この自分が生きている世界を、たくさんの人に理解してもらいたい、そのことに意味があると思ったのではないだろうか。
この二つの動画を見て、そんな風に考えたのは、きっと福祉の世界に興味を持つようになったからだ。私が通う高校では二年生から学びたい内容によってクラスが選べるが、私は今年、福祉クラスへと進んだ。そのきっかけの一つになったのが、一年生の時に視覚障害のある方に話を聞いたことだ。大人になってから視力を失ったというその方は、自分で服を選び、お化粧をし、家事もこなすという障害を理由にヘルパーさんや家族に任せてしまうことだってできるだろうに、「自分でやる」ということに意味があるということなのだろうかと強く胸を打たれた。
私は目が見えている。「目が見えない」ということがどういうことなのか、本当の意味では分からないが、大変だ。ということはわかる。中学生の時、福祉の体験をしてみようという機会があって、目を隠して歩く体験をしたことがある。よく見知ったまっすぐな廊下を歩くだけなのに、全然まっすぐに歩けずに、パートナーの友人にぶつかってしまった。
生まれながらに見えない人、中途で失明した人、本当にいろいろな人がいて、苦労もそれぞれなのだと思う。生まれてからずっと「見える」のが当たり前の私には、手の感覚や臭覚など、視覚以外の感覚をフルに駆使して生活するのは想像できない。完全に理解することはもちろんできないけれど、少しでも寄り添い、その人が「自分らしく」生きていくための手助けができる人になりたい。そんな思いで、これから本格的になっていく福祉の勉強を頑張りたいと思っている。
生活体験文最優秀作品
《児童生徒の部》
できる喜び
山梨県立盲学校高等部普通科一年 河野 善
僕は、小学生の時に突然目が不自由になりました。それから文字が読めなくなったり、パソコンが使えなくなったり、箸が使いづらくなったり、急にできないことが増えて、これからの生活や将来がとても心配になりました。今まで当たり前にできていたことが突然できなくなることが、こんなに怖いことなのだと初めて知りました。
そんな僕を心配してくれた父が、iPadを使って音声で本を読んだり調べものをしたりすることができると教えてくれました。父に操作方法を教えてもらい実際に使ってみると、自分の声で操作できることに驚きました。そのときの感動を今でも覚えています。目が見えづらくても、人に頼らずに自分だけの力で操作できる機械があるということを知り、将来の不安が少しだけ減りました。
高校生になって、iPad以外にも音声を利用した機械がたくさんあることを知りました。僕は今、PLEXTALKという機械を使って教科書を読んでいます。自分の好きな速さで教科書を読んでくれるので、とても聞き取りやすいです。また、ブレイルセンスという機械を使って点字を書く練習もしています。パーキンスブレーラーと違って、電子機器なので点字の書き直しができたり、点字を読み上げたりしてくれます。iPadでもvoice over機能を使って授業に取り組んでいます。このような音声機能が施された機械は、世の中でもたまに見かけます。例えば、体温計やエレベーターなど音声で情報を得ることができるものはとても便利です。しかし、自動販売機など音声がないものは情報を得る手段が少ないのでとても不便です。
僕は日常生活の中で不便だと思うことがあります。それは自分がどこにいるのかわからなくなってしまうことです。移動するときは必ず周りのものを確認しながら、自分がどこにいるのかということを常に考えないといけません。もしわからなくなってしまったら、周りの人に聞くしかありません。そのため、初めて行く場所はもちろんですが、自分の知っている場所でも一人で歩くことは不安です。でも、音声を使って自分の場所がわかる機械があることを、僕は最近知りました。一回使ってみて、とても便利だと感じました。使いこなせるようになって、どんどん活用していきたいと思います。最新技術によって、移動や生活の不安が解消されるのは、とても嬉しいです。
僕のように音声を活用しながら生活している人が、世の中にはたくさんいます。不自由があるからこそ、人に頼らずに自分の力でできることは大きな喜びです。それを実現する最新のテクノロジーの発展に感謝しています。視覚障害があっても生活しやすい環境が、もっと世の中に増えてほしいと思います。
《一般の部》
今を大事に
甲斐市 白濱 顕子
私が視覚障がい者としての道を歩き出して約七年が過ぎました。当時は、見えなくなっていく事への不安や、今までできていたことができなくなることへの葛藤をかかえながら歩行訓練や点字の勉強を始めました。訓練を受けていくうちに、再び一人で歩けることの喜びや生活の幅が広がっていく事への希望を抱くことができ、見えなくても日々を笑顔で明るく生きていきたいと思って生活できるようになりました。努力した分、自分自身の力となり、多くの人との出会いをいただき、この先ももっと生活の幅を広げていきたいと思えるようになりました。
そんな中、コロナウイルスという恐ろしい感染症が足止めをしてきたのです。私たち視覚がい者は、情報を得るために物に触れて感じたり、人とコミュニケーションを取ることがとても大事です。このウイルスはそれらのことを、ことごとくしてはならない事にしてしまったのです。そのために、外出も極端に少なくなってしまいました。同行してくれるヘルパーさんに対してもお互いに感染させてしまわないかと緊張したり、買い物に行っても消毒液の場所が分からなかったり、商品を手にとって選ぶのを躊躇したり、レジに並んでもソーシャルディスタンスの印が分からなかったり、店員さんとの間に仕切りができ言葉が聞き取れなかったりと、挙げたら切りがないほど多くのことが障壁に感じました。人々の外出が減った影響もあり、道を聞きたくても人に出会えないこともしばしばでした。このような状態がいつまで続くのかと悶々としたものです。
しかし、いつまでもそんなことを言ってはいられないとも思い、今だからこそ自分にできることを探してみようと思いました。買い物に関してもネットスーパーを試してみたり、現金のやりとりがしづらくなった分、クレジットカードを利用してみたり、消毒液を常に持ち歩くようにしたりとあれこれ工夫してみました。
今まで、助けていただいていた部分をどうやったら一人でも対応できるのか、ストレスなくできるのかを自分なりに考え試す日々でした。実際には、不便なことばかりではなく、コロナになったおかげで便利になったことも発見できました。失敗もしますし、できないこともありますが、できなかったことができたときの喜びに勝るものはありません。
今現在もまだコロナウイルスは終息していませんが、その中でもできることを探していけたらいいなと思っています。外出自粛が叫ばれて、心もふさぎがちになりますが、そんなことに負けないで今だからこそできることを探して、自分自身を見つめ直せる良い時間にしたいと考えるようになりました。今出来ることを積み重ね、新しい基盤となるよう生活できたら、コロナが終息したあとの力になると信じて、前向きに元気に過ごしていきたいと思います。